自分の物差し

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人は1人1人持っているものが違う。正確にいうと持っているものが各々のレベルが違う。

教養、人間性、性格、体験、経験、環境、言葉、人間関係の数、その種類、労働状況、キャリア、親、その種類、その影響などが自分の物差しを作る。

例えば、私は綺麗好きだがOCDや潔癖性までには至らない。汚い部屋を間近で見ても吐き気がしたり蕁麻疹が出たりはしない。ただ物は平行に置かれていないと気持ちが悪い。それが私の物差しである。

物事は白、黒、グレイとある。窓が開いている。開いている方が好い人、閉めておいた方が好い人、どっちでも好い人、とに別れる。

自分が「白」だからといって「黒」の人を責めたり否定したりしては行けない。

人間も同じである。

初めて会った人直ぐに打ち解けられる人がいる。それを「あの人は人懐っこいから」と捉えるのか、それとも「あの人は馴れ馴れしいから」と捉えるかは”自分の物差し”次第である。

“人懐っこい”は肯定的だが”馴れ馴れしい”は否定的だ。否定的に捉えると、つまり自分の物差しで人を否定的に判断すると人間は自然とその関係を断とうとする。

その行為は、1.単に自分に合わないから、と決めつける 2.過去の経験による自分の防御策 3. そういう人と関わることが面倒くさい という理由にわかれる。

いづれにせよ無意識にされる。そしてその行為は自分で気がつくまで繰り返される。何を気づくべきか?

“未熟”ということである。自分が人として未熟であるということである。その自分の持っているものが物差しで人を測っているのだから。

自分の物差しは自分に使う。それを大きくするのか、長くするのか、何色にするのかは自分次第である。

「あの人は~だから私もあの人のような教養が持てるよう」にと、つまり自分の物差しが長くなるようにもっと勉強しようと志している人もいる。

もし自分の物差しをこのようないい方向に使えれば、人生はいい方向に向かっていくだけではないだろうか。

他人を測るのではなく、自分を測るためにある。

Comments

  1. 素晴らしいです!

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