2.過去の清算  第二章…..「価値」2. ヒトがどうやって生きていくか ー私かなこの場合ー その1

Essay

誕生~3歳 

母親の勤務先の託児所に入る。自転車から落ちて頭を縫う。その記憶はない。幼稚園に行く日の朝、私は母親の漕ぐ自転車の後ろの子供用の座席に座り寝ぼけて落ちたらしい。

家のマンションの裏のぎんなんの木の付近でよく遊んでいた。近くに祖父母が住んでいたのでよく遊びに行ったりしていた。そこには動物もたくさんいた。100羽以上のインコ、大きな犬、猿も一時期いてよく餌をやったりしていた。(その頃の影響で動物を好きになったのかもしれない。ちなみに頭がおかしいと思われるかもしれないが今では私は動物と話すことが出来る。)

黄色の自転車、お古の玉無しが乗れるようになる。

祖父は生まれつきの私の左利きを嫌い、右手で書くようにとよく怒られていたけど私は隠れて左で書いていた。その時から書くことの好きだった自分。

6歳

年長のクラスで女の子が男の子の方に注意するのか流行った。転園してきた悪ガキの男の子は私にある日マジックを見せるといって口の中でティッシュの切れ端を丸めたものが消えるというもので私はそのまま飲み込んでしまったのだけど。

私はデパートの店員に憧れ綺麗な包装紙を使って包んでいくようなとても気持ちのいいもので又すごいなーと感動していた。デパートマークの付いたセロハンテープを貼っていくのを見ていた私は幼稚園のクラスの中の本に本屋になったつもりでぺたぺた貼って行ったらさすがに先生に怒られれ1人で剥がしていった。

たまに中級クラスの面倒を見てと先生に頼まれたことがあった。その時には先生になったつもりで年下の子供達の面倒を楽しく見て、私が「本を読んであげましょう」と言えばみな黙って聞いていたし「外で遊びましょう」と言えばみなワアッと外に飛び出したりしていた。(その頃から”教師”の一滴を持っていたのかもしれない。)

冬は釜倉を作った。この頃はまだ京都市内でもたくさん雪が降っていた。うさぎをつくったりもした。みみずやカエルを平気で触り母が長勤の時は同じように迎えが遅い子たちと居残りをしていた。夜ご飯はカレーなど食べていたのが印象的だ。おいしかった。日本昔話を大きなスクリーンでみて母が来るのを待っていた。

姉の小学校入学を期に東山から西京に引っ越してバスと電車通いになり、私は1人でよくストーリーを作ったりして1人遊びをしながら帰っていった。(その頃から演劇の一滴を持っていたのかもしれない)

烏丸の地下鉄を通っている時、知らないおじさんの手をつなごうとした私。

鴨川を叔父におんぶされながら彼の財布(小銭入れ)を持っていた私はいつの間にか寝てしまいそれを落としてしまった。そのことを笑い話としてその叔父に今でも冗談で責められることがあった。

このころ親戚の中で1番幼い私はいつも近所の誰かに遊んでもらっていた。おみこし祭りがあった時も、駄菓子屋に行く時も。まだ近所に大きいお兄ちゃんたちがいて強い小さい子の面倒を見ているのが当たり前な日本だった。

幼稚園の行事で消防車を鴨川で描く時にちょうどそこへ近所のいつも遊んでくれるおにいちゃんが通った。「おぅ、かなこやないか。なにしてんねん、どれどれ」彼は私の絵を覗き見、はしごを描いてもらった。私のその絵は数日後入賞し、審査員の一言”はしごがよく描けてます”と言われたのだった………。

クリスマスや正月、祖母の誕生日には必ず祖母の家に親戚が集まっていた平和で楽しい一時。

小学校時代

7歳の年。小学校に入学。同時に放課後の児童館通いもスタート。

1年生。朝顔を外から教室に持って入れる時、窓つたいに中に先についたクラスメートに渡したら先生にやり直しさせられた私。

学芸会では🎵平山に上る~ の”半日村”を隣のクラスと学芸会で披露した。特に役に付いたわけではないけどすごく印象に残っている劇である。

ある日気分の悪い私はそれでも学校に行き、クラスの一番後ろの自分の席の上で吐いた。でも思いがけずクラスの皆は温かく、隣の先生を呼びに行ってくれたり(なぜ担任がいなかったのか覚えていないが)、その時母親が仕事を早退して迎えに来てくれたのは覚えている。

8歳。初めて祖母の家まで1人旅。西京から東山まで迷った私。いつもとお輝道だったのに、母親に半泣きで電話している時にふと気付く。

運動会ではいつも足の速かった私。

多分この頃から”親子劇場”といって、子供用の芝居をちょくちょく○○会議館などに見に行っていた。その時に私は知らず知らずのうちに演劇を学んでいたのかもしれない。

9歳。姉の影響でスポーツ教室に入りバレーボールをはじめる。他の教室はサッカー、卓球、バスケット。

10歳。スポ教中心の生活。土日は練習試合や正式な試合。習い事始める。水泳、合唱団、ピアノ。剣道も少しやった。習字や公文が友達の習い事だったのでたまについていったりもしていた。

ローラースケートの流行で私も近くのデパートで買ってもらいよく近所で遊んでいた。

合唱団ではじめて親なしで京都を出た。名古屋へ行った。

11歳。相変わらずのバレーボール生活。

ある日検尿の時、忘れた私はドキドキしながらこっそり学校を抜け出し取りに帰った。こっそりとはなぜなら担任Nのいった”忘れたものはクラスの前で取ってもらう”を真に受けていた為で、保険の先生に嘘をついて渡したがそればれて怒られたことを覚えている。あとでその二人は結婚した。そもそも大した教師じゃなかった。うそも教えられた。

12歳。しょうもない顧問の人間性のおかげで私はスポ教止めた。私は他校からもちょっぴり有名な優秀選手だったのでなんどか考えさないかとその顧問から電話があったが、トップチームでやれないのなら、と私は完全に辞めた。

いつもグループになって遊んでいた。みさきの家、修学旅行での広島どれも幸せな思いで。

卒業前に成長期にのっとり太った。

あっという間の6年間。後悔していることの方がよく覚えているなんて。この頃の嫌な事は良かったことよりも覚えている。

小2が一番平和だったな~、と大人になってからもたまに思う。

友達も担任も家族も近所も世の中も平和だった。今みたいにインターネットが普及してなかったから。

戻れるなら人生の中でこの時が1番いいと思っている………………………。

中学生時代

中学校入学。自宅から徒歩10分。一番変動の多かった3年間。一番いけていた3年間。一番人生の中の青春。私の言った学校は近くの小学校から3校の生徒が集まる。バレーで知り合った友達と同じ学校になれるのだ。

友達は男女問わず多く、色んな種類の友達が出来た。子供からちょっと大人になった自分の心地良さ。

はじめにまた姉の影響で水泳部に入ったのだけれど、結局い年の2学期からバレー部にすることにした。旧友とまた同じチームになったのである。

一年生の時にすごく焦がれた人がいたけれど、周りからそれが伝わり告白する前に振られたのだった。甘苦い味がした。人生初めての変な感覚だった。「わたし、別に告白してないけど….」おそらく付き合いたいとか思ってなかったにも関わらず、ただ楽しんでただけなのにそれをシャットアウトされたのだと思う。

2年生の時に突然思ってもみなかった人に告白され、少しだけ私も付き合った。その日のことは今でもよく覚えている。アメリカにいく前日だった。

1991年7月に人生初めての海外2週間を経験した。

憧れの先輩もいた、友達の相談相手によくなった私。生涯最高の3年間だった。

ガムを噛んでるだけで特別室に呼ばれ担任にこっぴどく叱られたり、他の学校とのいざこざ、色んな反発。

3年の後半頃に引っ越し話が出て、つまり離婚。私の友達にも数人家族事情を抱えていた子供がいたけれど私はそんな風になりたくないと思って反対した。

結局その話はなくなったけれど私は後に自分のした行動を後悔した。何度も後悔した。

生涯で一番のクラスが中3の時のと思っている。特に女子10人ほどでいつもつるみ、アンリかの人気ドラマ”ビバリーヒルズ高校白書”がちょうど流行っている時で、その時の影響を大いに受けていた。そして今でも時々その仲間と会って大人になってしまったことを、あの青春の日は明らかに遠ざかってしまった事を実感している。

声楽の習い事が中心になったり、英語の魅力が益々大きくなっていったり。

1993年3月高校受験。1校だけの志望、落ちれば高校浪人だ。私は本気でアメリカの学校へ行きたいと考えていた。

数学と英語の個人塾に通いだし、水泳は辞め、最高の時は本当に終わっていくのだと、中3の冬が近づくにつれ私も周りの友達も段々気づいてき、て徐々に別れが来るのだなぁと。

なんとなくみんなで構えていた様な気がする。

切ない切ない時間だけが流れた。

高校生時代

高校入学。またまた姉の後をついて陸上部入部。

ドラマの影響で勝手に想像しすごく憧れていた高校生活は大したことなかった。入ったらすぐに大学受験の話、みなバラバラ。

修学旅行は研修旅行と呼ばれ1日中スキーばかり。週末は陸上生活。短距離部の私は大して速くなく良い成績は残せず。勉強は受験用。

ただ楽しいのは文化祭だけ、そして部活の友達と遊ぶことくらい。よく先輩と打ち上げをしたり、BBQしたり、カラオケに行ったりした。

18歳になって私はまわりよりスタートが遅れたことに気づき、まわりの空気と人間事情に押しつぶされて私は受験を諦めた。ひどい年でもあった。

習い事も徐々に音大受験用にかわっていき、私の精神はぐちゃぐちゃだった。

2. ヒトがどうやって生きていくか ー私かなこの場合ー その2 へ続く

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