2.過去の清算  第二章…..「価値」2. ヒトがどうやって生きていくか ー私かなこの場合ー その3

Essay

大学生活

1年の浪人生活は頑張ったり甘えたりその繰り返しで、勉強はつらくなかったし結果も悪くはなかった。本命以外は。

良い先生にも出会えた。ピアノの木下先生、理論の山添先生はほんとに素晴らしい先生だった。

9月の初めにサラ金が家にきた。夜11時過ぎに突然やってきた。警察を呼んで夜中の訪問はダメと言われていたが、その後も何度も明るい時に来られたりした。

父親はもうクソになっていた。見たことの無い父親はもう家族を知らない見知らぬおっさんになっていた。

裁判にも何回かなりそれで誰かが母親の真似をしてサインをし、父親は偽のハンコで色んな所からお金を借りていることが分かった。わたしは自分が中学生の時にあの離婚して引っ越すという話が出た時の事を何度も後悔した。反対しなければこんな思いしなくていいのにと。10月には親の離婚を成立した。少しほっとした。

ちなみに私がその届を区役所に持っていき自分の母親が半幼女で長女ではなく次女であることを発見した年でもあった。それで、「ああ、だから母親はあんなにおばあちゃんに気をつかっていたんだ、小さい時からあまりいい思いをして育ってこなかったんだ」と感づいた。

その発見は私がおばあちゃんと思っていた人は、私と血がつながっていなかったということでもある。少々ショックではあったが、特に私と祖母の関係性は変わらなかった。

仕方なく私大に行くことになった私はほとんど自分の意志とは関係なく話はどんどん進み、しかも初めての女子校で全く居心地の悪い年だった。浪人もしていたので1年遅れているような気はいつもしていたし、同級生になった年下の子たちが粋がっているようにも見えた。確かに女子高ともあって世間知らずの苦労知らずが集まっているところでもあったので深く付き合って味のある友達を持つことは難しかったが、そんな変な感触をいつも持ちながらの4年間だった。

私の師事していた教師は地位としても順調に上っている人だったがあまり人間としては好まれる人ではなかった。彼女は私のことをいつも「甘い」と言っていた。彼女は他の生徒の欠点やいわゆる悪口を何の気もなしに普通に他の生徒に話していたし、そんなところが私が心から信頼出来なかった理由だと思う。彼女は独り身で子もいなくパートナーや夫もなくずっと生きてきた人なので人を平気で傷つける人であった。大人げない人だった。

音楽という特殊な世界にいる人達は自分たちのポジションを知らない。私も含めて色んなオカシナ人が多かった。私は3回誠意の時にオペラクラスのリーダーになりわがままを振りまいていた。私は自分を過信し特にクラスの皆の為に何かをしているわけではなかったのだ。

そして4回生のオペラクラスではずーっと2月の卒業公演まで「フィガロの結婚」に集中しつつも大好きなバイトも傍らしていた。当時中1と中2の子は、私が浪人前に1人の教師を首にしたように、その子たちの親から塾に行かせることにしたと首にされ、私の母親はその比較を私になじったが私は生徒が教師を選ぶことは1つも可笑しい事と思ってないので何とも思わなかった。寧ろその子達2人の発展の見えなかったのと私についてこようとする姿勢など見えなかったことで疲れてい歌私はラッキーとすら思ったほどである。

残ったもう一人の女子中学生の子はそのまま私は何ら問題なく続けてみていくことが出来た。その子に初めてあった時、その子の成績はほとんど2に近く全く勉強というものを知らない子のようだった。ただその子は頭が本当に悪くてそうなったのではなくそしてとても素直な子だった。見た目は不良ぶっていたが接するにつれその子は私に近くなっていく感じがした。私がその子の頭の良さと成績の関係に気づいて、本当に馬鹿な事思っていた母親も徐々に娘への見方を変え、頑張る娘の背中を見つめる良いお母さんだった。何ら無駄な知識を持たない親だったため、娘のこの子は素直なんだなと思った。根からあほな子は教師がどうしてもあほのままである。そんな子の親に限って教師の力のせいにする。その子が自分自身に気づくまではどんなに教師のミラクルがあろうとも成績は上がらない。その子供自身が自分に気づく気づかないかが家庭内の問題であり、教師は何もすることは出来ない。その子は自分に気づき、担任にどこも行けないといわれていたにも関わらず私立の有名校に入ることが出来たのである。

大学時代は数人の生徒に出会い私も大いに脳みそを使わされた4年間だったと思う。

先輩たちが卒業した後に結婚したとか音楽とは全く関係のない所で働くことになったと聞くと私はその人たちに対して音楽をしていたことの無駄をいつも感じていた。そして音楽を続けていても花の咲く人の話は一向になく私にはタラタラとぬるま湯につかっているにしか見えなかった。教師が「まだ早い」というけれどどんな年であれどんな音楽的段階であれ、その子が行きたいと思えば(行ける状況や環境であれば)海外へどんどん行くべきだと思う。そのチャンスがあるならば生徒は1人の教師によらず、いろいろなところでいろいろな経験をするべきだと思う。特にクラシック音楽の世界は特殊である。才能がないのに続けたいと思うものや自分のレベルを過信している者の多い世界である。CDが出せればリサイタルが出来れば上手な人なんだなと簡単に誤解される世界である。そんなくだらない現実が実は裏にある世界である。

だから私は続けようとは思わなかった。他の場所からその世界を見たかった。大学在学中にそのことを知った私は何も決まらないまま無事 卒業単位だけはたっぷりの大学生活を終えた。

その頃から祖母のボケが進み、祖母は老人ホームへと移ることになった。祖母の家はその後取り壊され、その辺り一帯が段々新しい建物へと変わっていった。

駄菓子屋も、近所にいたお兄ちゃんの家も、なくなっていった。

祖母が引っ越してからは私はそこ辺りへ一切行かなくなった。

 

次回 第三章【運命】へつづく

 

Bedpost New Zealand - Beds, Mattresses and Furniture Shop
Find your perfect bed and mattress at Bedpost. For expert advice and great deals visit us online and instore at one of our bed stores nationwide

Comments

Copied title and URL