【小説 サチの中の自分】2.過去の清算  第三章…..「運命」

かなこの人生 大学卒業後

人生全ての学校生活を終えた私はこれからどう生きていくか、と考えた時にやっぱり日本を出て働こうと思った。

ただ卒業旅行を2つ行った私は今までの貯金を所持金を全て使い財産¥0になったので1からのスタートとして2001年4月を迎えた。

バイトを1つしながらまたもう1つしながら、とにかく資金が必要だった私は6か月を目途になんとか1人で海外で生きていける位になろうとバイトの毎日だった。

とはいってもまだまだ時間は有り余って無駄に使っていたのだけれど。

  • 目標1. この家をきれいにすること。ものを極力減らすこと。
  • 目標2. 渡航先に手紙を出すこと
  • 目標3.バイトを複数見つけ月¥15万以上稼ぐ

としていたけれど、結局1.を少しやった位であとはダラけて無理だった。お金の方は結局親やバイト先で選別をもらいなんとか大丈夫だろうというくらいにはなった。(とはいっても¥50万くらいだったけど)

するべきことして他に私は勉強・読書・マラソン としていたけれどあまり力を入れた覚えはない。

海外情報雑誌から1つエージェントを見つけ私はそこを通して海外に行くことにした。行先は本当はオーストラリアを狙っていたが資金額とVISAの取りやすさから近いニュージーランドに行くことにした。3か月ほどしたらそこからオーストラリアに渡ろうと思っていたから。

10月6日に出発しようと思っていたにも関わらず、航空券のゲットを怠った私は2週間後の20日に発つ事が決まった。その2週間のうちに中、高、大、バイト先の友人と私はほぼ毎日夜ご飯を食べに行きしばらくの別れをした。

安い大韓を利用しほぼ24時間かけて韓国を経由しオークランドに就いた私に同じ飛行機の同じエージェントの友達がすぐに出来た。都市は2つ下から2つ上位までで30歳がワーホリのリミットだったので結構30近い人も多いもんだな―と思っていた。大体みんな社会経験をしており、そこから資金を作り出し思い切って会社を辞めてきた人が多かった。目的は私を含めみな同じで、1年後には帰ってまた職探しをするという人が多かった。

オークランド空港に着いた私はそのままワゴンに乗せられ各ホームステイ先へと送られた。私の久々のホームステイは夫婦と小さな子供3人の家庭で温からず冷たからずの家だった。

ずっと英語を使っていなかった私は少し不安だったのでホームステイの2週間中、語学学校にも2週間通うことにした。そこでも異国の友人を作りながらやはり行動は日本人の友達と5,6人で観光したりしていた。

特に何の予習をして渡航したわけではないので見る所、行く所全てが新鮮でいつもワクワクしていた気がする。

その2週間が終わり、せっかくNZに来たので私は計画通りファーム体験をする為ファーム先へ1か月移動する事になる。

冷房がガンガンに効いた深夜バスに乗り1人私はAUCKLANDからWELLINGTONへと行き電車でCARTERTONへと移動した。そこで私は2人の兄弟と1か月生活をする事になる。2人は広い敷地内にそれぞれ家を持っており私は兄の方へ同居することになった。その兄は私が今までに出会ったことの無い「信じられない」人物だということがわかっていった。彼は冷酷でわがままで、自分1人でこの世に生きていると思っているような人で、だから誰にも何にも感謝という文字はなく頭の悪い、世界の狭い人間だった。

私はこんな人もこの世の中にはいるんだなと、いい経験だと思っている。逆に弟は動物好きでこの世には自分以外にも人間が生きている事を知っている普通の人で人間として何ら問題のない人だった。

初めの習慣のファーム体験は新鮮で楽しかったけれど後半の2週間は私の自由の無さと他の人との隔離とに耐えられなかったけど1か月と決めた以上1か月はいてやると思って嫌々過ごしていた気がする。

2001年12月にまたAUCKLANDに戻り語学学校で友達になった韓国の友人宅に2,3日お世話になり、フラット先を見つけそこからTAKAPUNAでの暮らしがしばらく続く。1月には日本食レストランのバイトを見つけ音楽の家庭教師と共に職していた。

レストランではいい友達に会いたくさん作れたしフラット先では価値ある日本人の友人に出会いある程度安定した生活をしていた。3か月くらいにしておこうと思っていたがレストランには結局そこでの友人に別れるのが嫌でリミットの許される限り働いていた。

そして2002年10月20日 嫌々ながら私はNZを去ることになる。それまでワーク先を見つけVISAをゲットしようとかIELTSでPRを申請しようとか軽く考えていた私は大して何もせづ結局何もないまま1か月日本に帰ることになってしまった。

又1か月後大好きな友人の帰国の為に私はNZに戻り仕事探しに少しトライしたが安易もなく12月また日本に戻ることになった。久々に正月を日本で過ごしホテルで3日間だけバイトをし、無駄で何もない時間を過ごし又1月20日になんの当てもないNZに戻ることにした。仕事を探し始めたが、日本語学校も日本語教室もリポーターもカウンセラーもダメで貯金は減るばかりで、1番嫌な時期だった。

2003年フラットを変え2月から私はNORTHSHOREからMt Edenへ引っ越しをし過去の生活から環境を変えることにした。

その時も$10でも安いフラット先をと考え、職とフラット先探しをしていた私に飛びこんで来た運命の話がそのMtEdenのフラットから私を動かさなかった理由と私は今でも思っている。WAIHEKEへの移動のきっかけである。

2003年2月26日 人生で初めて、そして運命の大きなイベントの待つワイヘキ島へ来たのは何気ない簡単な理由からだった。5月10日までベビーシッター兼フラットとして5人家族の家に2週間だけのつもりでスタートしたWAIHEKEの暮らしがとても新鮮で子供たちとの生活はとても楽しいものだった。でもそれも3か月ほどするとマンネリ化し、ベビーシッターと自分の仕事をしない時間が混ざり生活のメリハリが混同していった。ストレスを感じ始めた。

2003年3月13日頃、私は大学卒業してからの生産(リセット)がしたくてたまらなかった。そのままちゃんとした所で働いて音楽制作もしくは演劇製作関連のスタッフとして作品をつくりながら自立し、親孝行し、この時の25歳6か月となっていたのかも…….と”無駄のない人生”を夢見ていた。

「私が過去に置いてきた、受けようとした、もしくは受けたけれどダメだった各試験のクリア」

「私が過去に受けた経験や努力・才能を十分に発揮・活用できる一生涯の就職を」

「家族への25年分の恩返しとして母に家・家具・車一式+$8000のプレゼント」とこの3つを30歳までの自分の課題としてこの日に書いていたけれど。

教員採用試験・日本語能力検定試験・各語学検定試験の為の勉強再開とNZ運転免許取得、アメリカ・台湾・OZへの旅行などの目標としていたものだった。体重は48KG ,2004年5月以降から声楽の本格的な再開やWORK VISAの取得をしようと計画もしていた。更にその後OZのワーホリかNZでのWORK,レストランの立ち上げと夢見、NZの教育のシステム、チェロレッスン、スポーツ、数学、絵画を広げるとも考えていた。結婚・出産は2007年4月にと考えていた。これらがすっきりしないので、私はこの時も不服な時間を過ごしていた。

7月15日に妊娠が発覚し、8月10・11日に病院へ行き、不全流産として手術をした。その時は妊娠を予期しておらず育てる気もなかったけど出来てしまったのなら仕方ない程度に思っていた。家はなかなか出来ず住むところは借り住まいで肩身は狭く、不便な生活をしており、おまけに車は言うこと聞かず全く地獄の底に居るかの様でそんな生活に八つ当たりしたら私にこの日バチが当たってしまったのである。苦しんで苦しんで、その上苦労して病院に行き、一泊するはめになってこんなつらい日は人生の中で最高のつらさだったんじゃないかと思う。

2003年8月13日には9月15日に婚姻しようと、その時持っていたWellsleyの車を売ろうと、そしてPRを申請しようとしていたけれどちっとも思い通りにはいかず、結局むなしい嫌な思いをしたまま9月20日のVISAのリミットでもって日本に病む負えず帰国する羽目になってしまった。

その理由……..大学を卒業して6か月NZの為に資金を作り実際いい時期にNZに来たまでは良かった。その後3か月のつもりでジャパレスバイトが10か月になってしまった事、ファームから帰ってきて1か月就職出来なかったこと、だから何もしないまま日本へ帰ることになって、一か月ごとの無意味な行き来、最後の一時帰国と誓いつつ正月シーズンを日本でと満喫しまで。あと1月からベビーシッターの一か月とリゾート バイトし終わっての6か月今まで3か月半合わせて8か月半 私はまだ何もしてない。

この時もまたレストランをファミリーで開くといいつつ52~3KGの体型、タレントの成功、各試験の合格を死ぬほどの努力でと簡単に無駄な時間を使い夢ばかり見ていた自分。

2003年5月の全財産は$1000+車+$50kの殆どを人に甘えて払ってもらった分を返金すると目標にする。

2003年9月から2004年6月18日までの日本に帰国している時私は出稼ぎのつもりでと自分を振り切りとにかくバイトを探しまくった。11月末にちゃんとした給料のバイトが見つかり、古巣の老人ホームとかけもちで5か月頑張ることになった。

そのバイトのこと……..はじめは怪しかった。時給¥1000からはじまったテレフォンオペレーター。頭をすごく使った。一緒のバイトの子は若い子が多くはじめは本当によそものの漢字がしたけど、いい上司・友人に囲まれた良い体験だった。6か月しようと思っていたが会社の状況も変わっていき自分の実力に限界を感じていたけど、それでも続けて欲しいという希望に申し訳なく結局慰安旅行を言ったその月の待つに辞めることにした。世間知らずの私にとってはとてもとてもいい体験をした一時期のバイトである。

この頃分かったこと>>>

  • 1つのことしかできない自分
  • 馬鹿な日本
  • チキンな日本人
  • 無神経=開き直り
  • NZは全てのレベルがまだ低いので日本に比べると「不便」を感じることが多々ある

2004年 長い長い9か月がついに終わりNZにやっと戻ることの出来る私は、はじめ直通便に乗りオークランドへと飛んだ。今度は日本に残してきたものへの後ろめたさが少々あってのフライトだった。いつも別れはつきもので生まれ育ち慣れ親しんだ京都を経つのが心惹かれたが、またあのワイヘキへ戻るのだと、やっとNZに入ることが出来るという喜びがあることが信じられなかった。やっとPRがまともに申請できる、という期待もあった。が結局ミスにミスを重ね、全く物事はうまくいかず先に準備しておこうと無駄な金を使い、人生で初めてすっきりしない何かに阻まれているような悪夢であった。

仕事がないということは私にとって仮死と同じである。せっかくの若い時代を無駄にしているし、その上何度も同じ過去の想いにふけて脳まで腐ってきている。過去は全て捨てる、未来の為の過去の改善、そのためのお金$1.5m~4m

いつも1人でごちゃごちゃしょーもない事を考えているので肝心な時に的を得ない。何度も同じことをぐるぐる考えるのはもう病気である、薬は金のみである。私はあれこれ未来のことを考えてもきっと1番楽な道を選んでいくのだろう。それが結局自分でダメな自分を作ってきた原因。

残念ながらこれが自分の原点である。

妊娠

2005年2月21日月曜日 23:24

何度も同じことを繰り返してきたが、しょうもないので同じ思いは2度したくないので今は本当にこの腹の子だけに集中したい。どんなことがあっても健康で元気な男の子が生まれれば何もかも嫌なことは忘れられるし、人生一番の幸せだと思っているから。

いつもこんな時は1人を感じる。ここでは家族もいないし、心からの友達も居ない。だからいつも1人でグルグルと考え込んでいらんことで脳みそを駆け巡る。時に先走りをして自分を苦しめる。今大事なものを抱えている自分。

働けない自分、他の方法・考え方を知らない自分、一方通行で立ち止まろうとしない自分。

いつも結局1人の自分。

今は特に人間関係の範囲が狭いのできつい。どんなに明るく笑顔でと思っても辛いもんは辛いし痛いもんは痛いし、苦しいもんは苦しいし、悲しいもんは悲しい。あり余るほどの時間はつまらないししょうもないすごく人生の一部を無駄に過ごしていると思う。自分には必要のない使い方。それが1年半。1日1日はなんといっても速いけれど何も残らないし過去か未来を夢見るだけ。「今」はない。「今」はあまりにも薄っぺらで短く頑張って色んな所に行って色んな人に会ってしようと思うけれど結局いつも1人。この状態を自分の力では変えられないし、誰もどうすることも出来ない。何度も繰り返してもう限界を作ってしまっているから身動きが取れない。前向きに考えて全てポジティブにと努めたけれど、この世に魂はありながら死んでいる私。

いつも夜になって思うことは1つである。今までの事。今の事。一番は「何もない自分」が1人になったらどうしよう。

長男をどうやって1人でNZで育てよう。そうしたら日本でのことを次に思う。友達の事、バレー部時代、中3の友達、大学の友達、バイト先の友達。

今までやってきた事の成果を人生の中で出していない自分への後ろめたさ、自身の無さ。今の「何もない自分」への自信のなさ。もしすぐ2人目をつくれば私は妊娠中1歳にも満たない1人の子を含め2人を1人でみていこうと思ったら、果たして耐えられるだろうか、ということ。

夜1人になるとその自信のない何もない自分に対して不安な自分になってしまうのでそれが辛い。その辛さを知らず外で自由に出来る旦那への嫉妬も含め私はいつもイライラする。私はいかに醜いか、汚いか。計算をして狂えば人のせいにして。

そんな自分が2人の子供を育てられるだろうか。誰にもあたらず、ノイローゼにもならず、この誰も頼る人のいない、昔からの友達も居ない場所で生活していけるだろうか、いつも夜1人になると思うことはこんなしょうもないことばかりである。

2005年2月28日

今日は2月最後の日なのでとうとう3月がスタートするなといった感じがする。明日からは”好運の月”、望みが叶う、目的達成、1月に残したことも今月達成、愛情、家庭、経済的にも最高の月、が始まるので全ていい方向に行く気がする。そして妊娠最後の月でもあるので精一杯楽しんで明るくポジティブな人生が送れる。何も心配することなく不安になることなく。

今の私はアーティストとしてのタレントの披露という目標を達成しないと前に進めない気がする。結局それが今までの人生の総まとめになる。

出産後 自分を殺しひたすら耐える。はじめから相手にしてもらえないので他人に期待しても無駄。

 

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大殺界

2005年3月

まだまだ大殺界の日は長い。今は毎日同じ生活。飽きている。同じ服。行く場所は同じところ。働けない状況。お金が全ての生活。いつも心配して将来を夢見て終わる。何もかも疲れている。いつも伸びるに伸びる予定。思い通りにいかない物事。簡単な事なのに。VISAの進展も宝くじの進展もBABYの進展も日本の家族の発展もこの家のリフォームも何も以前から進んでいない日々。何もない毎日。暇な毎日。あまりにも時間の分散が残酷な毎日。仕方なくこの生活。何をどうしても変わらない日々。

細木和子氏によると私は2004年から2006年の3年間は大殺界らしい。

大殺界では「地道な努力と誠実な姿勢」が必要らしい。そして改名や結婚、出産などもっての他らしい。

嫌いな所をさらけ出し、あれこれ考えず常にすべてに対して前向きな気持ちで暗い顔は絶対に出来ず、常に相手を理解しようとする姿勢で、明るく、優しく振る舞い、他人に期待はせず、物事1つ1つに徹底的に向き合い、そして1つ1つ着実に歩んでいくことをし、過ち・自己嫌悪を克服して行き、愚痴は決してこぼさず、不平・不安・不満があれば空に向かって深呼吸3回してスマイルをし忘れること

何に対しても新たな成果はなく前進なし。よって努力しても無駄、希望なし、目標なし。ということは、音楽の成功無理、~52kg無理、新築・レストラン計画、脱毛などあらゆる自分の欲求も勿論かなわず。

すべてに対してひたすら耐える。自分を殺す。物事をゆっくりじっくり進めていくこと。

ストレス

お金がない事でストレス。

ない事で色んな事が出来ないのがストレス。例えば、1っ回のリフォーム、LANDSCAPING,電気の修理、PC接続、デッキ、パーマ、脱毛、治療、旅行……2007年が来るまでに終わらせたいのだけど夢となって消えていくのがストレス。

今の生活がストレス。

ずっと家で子育てと家事を1人でするつまらない毎日。

私のしたいように全然いかない毎日。

おかげで人には馬鹿と思われるか相手にされないか。NZに来てからずっと日本での自分の様な自分の生き方が出来ないストレス。

の生活が本当につまらないのにただひたすら耐えるしか出来ないのが本当にストレス。

 

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出産

2004年の6月に日本から帰ってきてVISAの都合でに何もすることが出来なかった私は毎日毎日またつまらない日々を1人で送るのかーと思っていた矢先に発覚した妊娠。30歳までに2人産もうという目標を達成できるだろうという喜びとまた流産しやしないかという不安があったので、私は本当に本当に毎日気を付けて生活した。ほとんど日本の本を元に安定期に入るまで流産すまいという生活。もちろん3か月のつわりは地獄だったがその後の6か月は楽しんで生活を送っていた。友人の犬の散歩を運動代わりにち、釣りにも行き、買い物にも1人で遠くまで行き、つわりの3か月こんなにもつらいものかとまた腹を立て一生このまま終わらないんじゃないかと思っていたのが嘘のように。他、カヤックもし、腹が大きくなるにつれて友達も増え本当に本当に生まれるその日までエンジョイしていた。

出産は2005年3月22日 今まで通り犬の散歩をしてスーパーにマッシュルームだけを買いに行き、午後6時あたりから本格的な陣痛が始まり痛みを感じながらも夜食を作り、旦那と2人で食べた。きっちりとしたおさん準備を始めたのは11時ころに助産婦さんを呼んでからだった。それから夜中2時ころまでは10分が5分とずっと1人で痛みと戦いながら早く破水してくれないかとそればかり思っていた。それから早くプッシュしたいのに出来ない状態がすごくつらかった。

とうとう破水し頭も見えてきたので「プッシュしたい!!」と叫びそれから本当に何度も何度もプッシュをし、目はつぶって力んでいるのに全然つぶっていないような感覚だった。とうとう頭全体が出て、自分でも赤ちゃんの顔が見えそれからキャッチしようとする旦那が定位置に着くのを確認した私は一押しし4:45amにとうとう誕生した。それから最後の一押しで胎盤全部が出たのだ。

この妊娠前もはじめは切迫流産かー、と私を心配させ、そして助産婦のことやVISAの診断のこと、感染症のことなどでヤキモキすることが多く、心配して精神的にも滅入ったりしたけど、長い長い妊娠期間がとうとう、とうとう終わったのはあらゆる好条件とともにだったので本当に本当に良かった。

希望の男の子で、健康で、元気に希望の1週間早い子供の誕生はなんら問題もないお産だったから、出産の感動というよりもやっとこの子供に会えた喜びの感動が大きく、また妊娠期間の色々が今はとても懐かしい。

その後また体が思い通りにいかない歯がゆさもあり同時に何もない自分に腹を立てる。 

 

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ダイエット

成長期の頃は体型が変わり、常に自分の納得する体重をあいまいに目指していた私も何回も何回もダイエットらしきことに挑戦してはダラダラと流してきた。NZにくると益々太っていった私はとうとう165CMにして62KGに達してしまったのである。

9か月の帰国の時に実家に到着後1週間くらいしてやってきた姉の姿にびっくりした。6月にNZで見た時はいつも通りのちゃびーだったのに今は本当にほっそりとまるで別人のようになってしまったのである。ので私はそれに影響されて同じダイエット方法をとkることにした。それは1日3食のうち2回は専用のプロテイン、1回は通常食、水を4L以上飲むというものだった。(姉は毎日6Lのでいた)はじめ1週間徹底した私は2KGの原料に成功し時にさぼりながらも結局NZ機構まえの6月には55KGになったのである。今までの服が難なく切れたし、見た目色白のスラーっとした理想の体型にとうとうなれたのである。ついに人生の目標に達したようだったがすぐに妊娠し、統計20KGも増やしてしまった私への今から考えれば一瞬のことだったのだけど。

出産後、自分へのうんざり度から(人はまだ2か月、まだ3か月といっていたけど)、また授乳の為にしっかり食べていく生活にストレスを感じていた私は母親の帰国後の8月からまたプロテインダイエットを再開したのである。スタートは67KGである。さて54KGに戻すことは出来るのだろうか??1人で生活しているわけではないので色んな誘惑はあるが。

 

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28年間

その後、日本からサチが1人で日本からやってきて4か月同居した。その生活では私は母親のキャラクターの心を知った。母は自分が1番である。自分の考え方・やり方が1番正しいと思っている。人の為と思ってやっていることは全て自分の為でそれが自分への不満や非になるとその相手のせいにする。それから世界の狭い人なので、人に対しても自分のやっていることが通じると思っている。肝心な所からはいつも逃げている。あとのことを考えず自分を信じた行動によって周りに迷惑をかけているのを知らない。そんな人間である。人に対してしっかり接しなければいけないところからはいつも避けて生きている人である。

それがすごくわかった4か月だった。そして私はそんな人の下で育ったので変異気を遣う人間になってしまった。そしてよく似た性格にもなってしまった。私はここから離れたかったんだと、だからNZに来たんだということにも気づいた4か月だった。私はこの人に育てられたからこんな人生になったんだと認識した。それは別に嫌味ではなく事実。ネガティブな考え方。他人を気にした性格。人の話は聞かず都合が悪くなると人のせい。困れば自分は弱い人間だと演じ助けてもらおう、どうにかしてもらおうとする。自分の思い通りにならないとものに当たり大きな音を出し自分は起こっているんだ、と一方的にアピール。

そんな母親である。私もその一部。

「何回も何回も失敗したらいいし恥かけばいい。自分の人生がイケてたらいい。頭の中は空にする」と思える時もあるし、「今の私の人生は腐っている」と思うこともある。要するに「何もしてこなかったので今何もしない」だけの事。あるのは”未知の才能”だけ。私の考え方や生き方が変わってないのは成長してない証拠だろうか、とも思う。

今日28年間の人生を終え、今まで色んな橋を渡ってきたがそんなこんなの道のりの結果としての今日2005年9月。

明日が誕生日というのに気分は最悪である。最悪というより最悲である。

やっと9月になったというのにいざなってみると「あーまだまだ長いなー」ということに気づかされる。細木氏のいうとおり前から同様 何の進展も何もない。ビザはなんの音沙汰もないし、姉夫婦は結局お金がないので引っ越せないし、ということは母親はまだあの家に居なければならないということで、兄は相変わらずお金なしの貧乏人で、もちろん私は仕事を持ってないので働いていないし、体重は62KGあたりをうろうろデストレスを持っていた時ほど活力がないのでダラダラしている。貯金は$3000あるはずがマイナスでとにかく何もなくずーっとずーっと過ごしてきた。時にそんな生活がストレスである。とにかく今はただ息を吸って言うだけでしようもない、つまらない、活きてない。体ばかり疲れ頭はあほになっていく。何をしても無駄で、何を頑張っても結果はざるに砂状態である。ただ最近は”誰にも相手にされない”8月だったのに比べ、色んな人が構ってくれるようになった。

さて、今旦那と大喧嘩した私は疲れ、途方に暮れている。本当にどこかへ行って子供を連れてとなると1.どこへ行くのか2.ここに何が残るのか、とそんなことを自問しグルグル考えている。それと今まで考えてきた未来がなくなるなーと思ったり、金曜日の約束そうしようかなーとか、ドラマのように即決ではいかない。子供を連れていくと荷物は大量にあるし、車での移動がやっぱり一番だと思う。行先は本当は日本に行けたらいいのだけど、そしたらこれまでのストレスも言葉のことも心配事もぐんと減るなーと思ったり、日本からの大金処理が明日では早すぎてうまくできないのでカードを置いていけないなーとか、そんなことをこんな誕生日の前に考えさせられているのである。むなしい…….。

今の私のこの人生が本当に空しい。どんよりとねちねちと毎日曇った精神である。宝くじなんかもちろん当たるはずもなく毎日毎日相変わらずお金のことを気にしながら空想像して、結局昔から同じような生き方である。だから何も前進もなく、発展もなく、今この生活がうじうじしているんだろうなーと思う。

そんな2005年9月の今日である。とにかく今は何の活力もなくお腹空いたなーくらいに思っている。

 

2.過去の清算  第四章…..「未知」 へつづく

 

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