【今日のリサゼイトトピック】今日のちょっとした話;錯覚の本質

私は“頭のいい人“が好きだ。出来るだけ頭のいい人と一緒に過ごす時間を持って少しでも学びたいと思っている。「頭がいい」というのは何もすごい大学に出ている人のことではない。むしろそんな時代は終わるんじゃないかとすら思う。いや正確に言うと、弁護士や医者になりたいのであれば大学院へと行かざるを得ないがだからと言って弁護士や医者が皆頭のいい人とは言わない。教授とか役所の偉い人は”頭がいい”人だから出来る事でもない。

私は学校が好きで友達もたくさんいたほうだったから、いろいろな成績の友達がいた。彼らを見ると成績の悪い子でもずば抜けた独創力とアイデアの実用性はおそらく生まれ持っての才能なのか単なるキャラクターなのか、いつも”あほ扱い”されていたけど実は”あほ“ではないと思っていた。なぜなら”頭のいい人“は輝いている。

大人になると頭のいい人は稼ぐ力がある。どんな学歴だろうが関係ない。法的に税金をしっかり払っている稼いでいる人だ。この世の中そう稼げる人はいない。ほとんどの人たちが誰かの下で働き給料をもらっている。私もその1人だった。それが簡単だったから楽な方へいつも選択していた。でも1人で稼げるなんて誰の力も借りずになんの教えも道しるべもないのに、彼らはなんて”頭がいい”のだろうか。人のもとで働いている人達の中にも頭のいい人はいる。それはもう1つのの条件に担う人だ。必ずどこの会社にもいると思う。

それは“他人への配慮が出来る人”である。人は様々である。明るい人、おとなしい人、すぐ落ち込む人、すぐ泣く人、そういう人それぞれに合わせた配慮のできる人だ。相手の身になって考える力のある人は、人を殺さない。SNSで誹謗中傷はしない。騙さない。盗まない。

「気遣い」とは違う。「気遣い」はその人が“気分よくいてほしい“ということだ。人のご機嫌を取ることに必死になって自分が使われて終わる、つまりそういう人のことではない。

偏った思考、人の話をしっかり聞かない人、経験の少ない人、人の心がわからない人に多い。つまり頭は良ろしくない。当たり前のことが出来ない人。わがままやいつも自分は中心だという振る舞い、自分大好き人間の発言や行動・態度も頭の悪い証拠だと思っている。当たり前のことが出来ない人。例えば人や物の扱い方が荒い。よく多いのが‘客は神様だ’、と思っている客自身。それは客のあなたが決める事ではなくて、店員やサービスする人たちが“客を神様のように扱うよう心掛ける“ということである。

(ただ”人に興味がない、関心がない人”とは違います。それは頭の悪さとは別です。そのことはまた別の機会に書くことにしましょう。)

実はこの世の中はこういう”頭のよろしくない人“の方が多い。残念ながら人間という生き物はおろかだからである。怠けものである。基本的には自分さえ良ければいい。

私は社会人になってあらゆる会社で働いてきたが、職場ではなかなか頭のいい人に出会わなかった。役職に就いたとたん鼻を高くする者ばかりだった。本当に脳のある、能のある人についていきたかったが残念ながら私はまだそういう人に出会っていない。

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