【今日のリサゼイトトピック】 COVIDからの打撃と人生の挫折

想像だにしなかった現象である。世界的にみてのあらゆる事業は大打撃である。全分野においては最低$1Tといわれていて、回復には5年はかかるともいわれている。でもそれもまだ確定はしていない。今でもインドやアメリカ、アフリカなどでは感染者が増える一方で歯止めがかからないからだ。オリンピックも延期となり、宿泊施設、観光都市、航空、公共運通、旅行業界は最悪だ。まさか、世界中の飛行機が飛ばなくなるなんて誰が想像していただろうか。そしてそのことによって起こる連携打撃、ホテルなどの利用は激減、それにより飲食業の利用も激減、旅行者で持っていたあちこちの国・地域で大打撃。人が外に出なくなるということはものも売れない、とすると経済が回らない。

こんなことが2020年に起こるなんて思いもしなかった。エコノミストの多くは4,5月くらいで収まりを見せれば経済はまだまだ復興の可能性が高いとみていたようだけど、そんなに甘くはなかった。早急に会社の形態を変えられた所は対応に手間取ることなくそのまま需要を続けているが、そういうわけにもいかない団体は、消えざる負えないか、一旦停止といった形でダメージを受け続けている。どこの国も自分たちのことでいっぱいいっぱいだ。経済的回転の乏しい国はどうなるのだろうか。

ワクチンか薬が開発されない以上私たちはどん底である。誰も助けてくれない、状況もよくならないと受け止めるべきか。

当たり前のように日々過ごしていくうえで、自分なりの課題や試練を毎日乗り越え、嫌なこともしなくてはいけなかっただろう、頑張ったことに成果が出ないことだってあったろう、社会人になって金欠で食事が乏しくなったこともあっただろう、学校で先生に理解してもらえなかったこともあったろう。その都度私たちは「自分は不幸だ」「自分はついていない」などと自分を思い占めてきたのではないだろうか。

今生きている中で忘れていることや感じられないことや当たり前だと思っているこはないだろうか?ものに善し悪しがないと考えたらどうだろう。元々人生には”不幸:がないと考えたらどうだろうか。時間は決して止まらないし、周りはどんどん動いていく。その都度その都度自分という小さな焦点にだけ人生の重心を置いていてなんら意味はあるのだろうか。嫌だと思うことはいづれ終わりが来る。小さい頃に嫌だったことを今全部思い出そうとしても無理だ。その程度である。

失業しようと、買った家を売らなければならなくなろうとそれは“不幸”ではなく新たなチャンスとでも思えば、世間はそれほど私達1人1人に焦点をあてていないのだから物事はそれほど”不幸“にはできていない、いや”不幸“など存在しないのではないか。

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